2020-11-26 第203回国会 参議院 農林水産委員会 第4号
ただ、戦後の、先ほど言ったような米のない時代に米を食べる、麦と米の差の部分から進んできて、やはり飽食時代、何かもっとおいしいものとか、そういった部分でのところでのすみ分けはこれからまだまだ進むのではないか。
ただ、戦後の、先ほど言ったような米のない時代に米を食べる、麦と米の差の部分から進んできて、やはり飽食時代、何かもっとおいしいものとか、そういった部分でのところでのすみ分けはこれからまだまだ進むのではないか。
そうすると、今まで戦後、やはり産めや増やせやの増産という形で、それにまつわるようなところでどんどんと農家の生産性を上げるための品種開発をされて、国のそういう食べるものの部分の満足度を押し上げてきたと思うんですけれども、今、こういう飽食時代、なおかつ個人の育種家さん、我々、花の場合は、メーカーさんが主導的にそういった形での、平成元年くらいから酒関係のメーカーだとかそういったところが参入してきて、非常にそういう
ですから、それはやはり大事な日本人の知恵と汗水垂らした農作物というのはそれなりの価値を持って、国民は今特に飽食時代で、おいしいものを少し食べたいという気持ちの人が多いわけですから、ぜひそれはもちろん維持しながら、新しい発想で新しい農業に活力を入れていかないと、若者が、また担い手がやっていこうという気にならなくなって、関東近郊はみんないわゆる田んぼや畑がなくなるという危機的状態なわけですよね。
飽食時代だというふうに言われます、豊かだと。 今回の法改正でさまざまな、安全面とか一定の前進がなされるのだろうと思うのですけれども、しかし本当にこういうことでいいのかな、我々は豊かな食生活をしているのかなというふうに時々自問自答するわけでございます。この点につきまして、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
今回の改正で栄養学的に重要なカロリー及び四つの主要栄養成分の含有量が示されるようになったということは、飽食時代と言われる現代におきましては非常に適切な改正であるというふうに私は考えております。ただ問題は、消費者が栄養情報を的確に判断することができるのかどうかということが非常に大切でございまして、栄養教育、国民の健康づくりということにおきましては、その点が非常に大切ではないかと思います。
ただ、飽食時代、所得が向上して食料がもうあり余るほどある中で育った人たちがそういう感覚が薄くなっていることは確かにあると思う。そのためには、運動論というか考え方、そういうものを我々は先頭に立って国民の理解を得る努力をしなきゃならぬし、一方においては、農家も今申し上げたようなことを着実にやりながら合意形成をとっていくということは大事だというふうに考えます。
○沢田委員 時間がだんだん迫りますからちょっと急ぎますが、今青少年犯罪の傾向というのは、これは今まではイザナギ景気とか飽食時代とか虚栄の時代とか、だんだん悪くなっていくとそういう表現が出てくるのでありますが、言うなら物が足りている、食うものに困らない、ウサギ小屋だけは解決しなかったけれども、そういう時代が続いた。だから、そういう時代における犯罪というのは経済犯罪、知能犯罪という傾向が多くなる。
日本のルンペン、このごろ糖尿にかかっておると言われるんですけれども、カラスまで糟尿にかかっておるんじゃなかろうかなと思うぐらい飽食時代であります。先ほど申しますように、飢餓の国のことを考えると隔絶の感があるわけであります。 ちょっと調べてみますと、栄養不足や感染症で亡くなる子供たちが世界じゅうで一日に四万人、年間約一千四百万人、このようなユニセフの調べの私は資料を持っております。
都会では犬が糖尿病になったとか猫が糖尿病になったなんという笑えないようなお話もございますが、そういう飽食時代のカロリーを基本にした自給力、自給率であるのか、それとも人間が最低死なない、例えば昭和二十七年当時に必要な熱量というもの、最も効率的に、人間が死なない程度のカロリーを供給するに足るものを自給力というのか、その辺の定義が私はいま一つよくわからないのであります。
しかしながら、いいものさえつくればこの飽食時代の中で非常に売れるという保証はないわけでございます。いいものをつくり、これをいかに売り込むかという販売促進なり広告宣伝なり、こういうマーケティング戦略の強化というものが絶対に不可欠な私どもの課題になっておるわけでございます。これは生果実の場合もそうでございます。
国民が生活する上で欠くことのできない三要素、衣食住というものがあるわけですが、今日我が国の社会を見ますと、飽食時代の到来と言われるごとく、衣食は十分に足り過ぎるほど足りている、ただ一つ問題なのは住宅難であるというのが現状でございます。 核家族化が進んでいる昨今でありますが、我が国には古来から三世代同居という中で生活文化を築いてきた歴史がございます。
しかも飽食時代と言われるほどの発展を遂げた。高齢化の進展とともにさらに人口は急増すると予測する向きも多かったが、一九七四年から七七年にかけて日本の出生率はかつてない急激な落ち込みがあらわれ、七六年の出生率は一・六%台となり、死亡率を差し引いた人口増加率は一%やっととなった。 この原因の究明こそ人口問題のかぎを握っているかのように思われる。
○北川政府委員 委員御指摘のように、最近の飽食時代ということで、子供のころから非常に過栄養であるとか運動不足であるとか、こういう状況は将来にわたって非常に憂慮すべき問題であると私どもも考えているところでございます。特に、非常に奇異な言葉でございますけれども、子供の成人病なんという言葉が学界の専門家の間でも語られるような時代になっております。
そして、食糧欠乏時代から今日の飽食時代になりました。その間における国民意識の変化というものと、また国民のニーズの多様化という問題等があります。そういう中で、ある場合には本物志向になり、ある場合には舌が肥えてくる、いろいろな要素があります。
最初に、先ほど大臣の所見の中で国民の理解を求めながらという御発言がございましたけれども、時代的に見ますと非常に今、飽食時代、食べる物がなかった時代と時代様相が違いまして、国民に対する理解と協力を求めるという点については、農政全般に対して非常にある意味では難しい面が私はあるだろうと。
「輸入をベースにした飽食時代ではある。しかし、穀物の自給率は三二%にすぎない。国家の生き残り戦略として食糧の自給率を高めることが国の命題ではないだろうか。」次の言葉がすごい。「時代のすう勢に歯止めをかけても」解体の波を抑える。これは読みようによっては、軍事費を削ってでも農業を守れ、行革をとどめても農業を守れというふうにも読み取れる。この社説、農業県の青森県にどうこたえるか。
後ほどまた申し上げたいと思いますが、国の安全を守るというのは、これは何といっても、今は飽食時代ではありますけれども、どういう時代が来ても国民の食糧を確保するということが国の安全保障の重大な柱だと思うわけです。
飽食時代と言われるようにたくさん物が食べられる時代になってまいりましたから、そこで、学校給食よりは母親がつくった弁当の方が、子は母親の愛情が身にしみてわかるだろうし、母と子の心のつながりはより密接になる、そういう意味で、学校給食よりは母親の手づくりの弁当を持たせてやった方が教育上はいいんだという意見が相当あることは事実であります。
ところが、現実的には、今日日本人の生活は飽食時代であるといろいろな面から云々されておるわけなんですね。給局、自給率では五〇%のカロリーしか与えてないということになっておるのに、飽食ということは、裏を返せば輸入によってそれが補われておるということなんですね。
この胃袋満杯の飽食時代の中で、果物の一人当たり消費量は、総人口の既に六割を占める戦後生まれの若い世代を中心に依然減少傾向が続き、どうにもこれに歯どめをかけることができずにおります。果物に対する消費者のニーズは確実に少量多品目型に変わりまして、味や鮮度についての選別が大変厳しくなってきている昨今でございます。
○渡邉(文)政府委員 御指摘のように五十二年に世界各国が二百海里を引きましてから、また、それと相前後しまして石油価格が大幅に上がる、それからよく言われますように飽食時代を迎えまして国民の胃袋もいっぱいになってきまして魚の消費が伸び悩む、ということが幾つかございまして、現在の我が国の水産業が大変難しい状況にあるのは御指摘のとおりでございます。